1960年代生まれの方に捧ぐ

阪神・淡路大震災

 

KOBE Port Tower

 

1995年の阪神淡路大震災で思い出すのが、TIME誌の表紙に載っていた、がれきの中で女性が絶望してしゃがんでいる姿です。今でも脳裏に焼き付いてます。

 

まずは、親友から聞いた話を紹介します。

 

親友の話によると、震災当日、友人宅は神戸市内の社宅のマンションで寝ていたそうです。早朝、小さな子供も含めて家族3人が、いきなり下から強烈に突き上げられ、空中に浮いた後、床(畳かもしれません)に叩き付けられたそうです。冷蔵庫はなんと天井を突き破っていたとか。「これが直下型や!」と。直下型などというのはもちろん未経験ですが、このイメージが強すぎて、当日聞いた話はその他のことは覚えてません。

 

それからの日々が大変で、とにかく生活品や必要な物が手に入らなかったようですが、なんとか会社から(車でだったか、うろ覚えです)いろんな物の支給があったようなことを聞きました。

 

 

次に、息子さんが神戸の大学に通っていた知人の話によれば、たくましい息子さんが、同学年の女学生を何人も救助に行ったそうです。大きくヒビ割れたマンションの一室で泣いていた女学生を、危ないからと背負って、危険な思いしながら運び出したり、部屋で放心状態になって動けない女学生を励まして一緒にいてやったりとか。

 

その息子さんの話によれば、良い話ばかりではなくて、人間の良心を失ってしまった人がいて、イヤな思いもしたようです。

 

また、2007年に16年ぶりに会った女性の方によれば、通勤が大変だったそうです。兵庫県から京都のどういうルートか知りませんが、大回りで何時間もかけて通勤していたそうです。仕事時間より通勤時間の方が長いとか、少ししか仕事できず、帰りの時間を考えて早めに切り上げていたとか。

 

 

私が映像を見てショックだったのは、阪神高速道路の神戸線の倒壊したシーンでした。当時、大阪に住んでいたので、大阪から神戸まではよく遊びに行ってました。大阪市内の方から2号線で行ったり、豊中の方から行ったり。やんちゃな頃、単車でも車でも走った経験はあります。2号線など道路の被害状況はどうだったのでしょう。

 

2004年くらいに神戸三宮に所要で行った時は、昼でも外はあまりウロウロしなかったし、夜も店から店に移動しただけだったので、パッと見は、街もきれいで、復興が終わっていたのか、まだ爪痕があるのかは分かりませんでした。30年前と同じような神戸の夜だった気がします。

 

そういえば、最初に三宮に行った30年以上前は、プランタン(Printemps)とかありましたね。電車の中から大学の友人が、田舎者の私に、「プリテンプスちゃうで!」と念を押してました。実際知らなかったので、「へえ、そうなーん」とは思いましたが。その後どうなっているのでしょう。なにしろ神戸は良い時代のままで時間が止まっているもので。

 

よりによって時の政権は社会党の村山政権。なんでこんなに日本の脇腹の弱い時に未曾有の災いが来るのか。その後何度も、リスク管理とか、人災とか、自衛隊の重要性とか、文民統制とかを、真剣に酒の席で議論してました。


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